インフォグラフィックでわかる
日本の社会問題

官公庁とデジタルトランスフォーメーション
第3回 保険証の廃止をめぐって

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 前回、マイナンバーカードは本人確認証であることを説明しました。今回は、そのマイナンバーカードを健康保険証として使用することの意味を解説します。また、保険証廃止を例にとって公共システムのデジタルトランスフォーメーションの在り方について考えます。

※今回の記事はインフォグラフィックのダウンロード対象外です。

「マイナ保険証」とは

 保険証はそれを持参した人が誰であるかを証明すると同時に健康保険の加入資格を証明するためのものです。このことは、保険証には本人確認と資格確認の2つの「機能」が含まれていることを示しています。コンピューター処理で言えば、最初の機能は認証(ログイン)に相当し、次の機能は認可(権限の確認)に当たります。

 本人確認と資格確認のプロセスをシステム化する場合、資格情報のようなしばしば変化する情報はシステム側で管理するのが普通です。従来はシステムが孤立していたため病院等の窓口で本人確認情報と資格情報の双方を示す必要がありましたが、ネットワーク化によってシステム側で資格確認ができるようになったことで患者は本人確認情報のみ提示すればよいことになります。これが「マイナ保険証」です。保険証と言ってもそれはマイナンバーカードの本人確認の機能を使っているに過ぎません。また、マイナンバーカードに格納されている電子証明書を使えば不正利用や過誤請求の対処も可能です。

 この考え方は多くの資格確認事務に当てはまります。2000年代以降、デジタル・ガバメントの構築はばらばらに構築されているシステムのデータ連携を行うことが中心課題でした。公共機関や医療機関等のシステムがネットワーク接続されていけば、保険証も運転免許証もマイナンバーカードの本人確認で済ませるという発想が出てくるのは当然です。マイナンバーカードの構想時点から国は一貫してマイナンバーカードさえあれば様々なサービスが便利に受けられることを念頭に制度設計及びシステム開発を進めてきています。保険証の廃止はそのような大きな流れの中で決まったことだと考えられます。

 しかし、保険証の廃止については医療や介護等の現場における戸惑いや反対の声が意外に大きく、依然として保険証を復活させるよう求める声は消えていません。これは何故なのでしょうか。

保険証廃止決定までの検討の流れ

 このことについて考えるために、保険証廃止が決定されるまでの経緯をたどってみます。

国家戦略としてのマイナンバーカード

 厚生労働省には、マイナンバー制度の施行以前から、健康保険証、年金手帳、介護保険証などを社会保障カードと呼ばれる1枚のカードにまとめて共通IDカードとする構想がありました。保険証を廃止してIDカードにするという発想自体は古くからあるものなのです。その後マイナンバー制度が先行したことからマイナンバーカードを活用することになって今に至っています。

 他方で、2014年から2016年にかけて毎年策定されていた『日本再興戦略(注1)』では、個人番号カード(現在のマイナンバーカード)に各種資格証明書を一元化する方針が示されています。マイナンバーカードの導入が検討されていた頃の構想そのままです。同戦略には医療等分野への番号制度の導入とマイナンバーカードの活用も明記されています。ここまでの段階で、保険証廃止に至る道筋はほぼできあがっていました。

 また、この「戦略」の中では、個人の健康記録を自らオンラインで確認できること、治療を受ける病院等に許可すれば開示できること、医療機関や研究機関が匿名化されたこれらの情報を分析、研究に活用できるようにすることも方針として示されています。『日本再興戦略』は、2017年には『未来投資戦略』(注2)と名称を変えますが、ここではより具体的に、「全国保健医療情報ネットワーク」や「保健医療データプラットフォーム」を支える基盤として、医療保険のオンライン資格確認及び医療等ID制度の導入を進めるということが述べられていて、医療データの活用がマイナンバーカードを使う目的に組み込まれていることが分かります。

マイナンバーカードの普及に向けて

 それからさらに約2年を経た令和元年(2019年)6月開催のデジタル・ガバメント閣僚会議(注3)で医療・保険も含む様々な分野でマイナンバーカードを活用する方法が検討された際には、令和4年度(2022年度)中にほとんどの住民がマイナンバーカードを保有していることが前提とされています。これは、令和4年に策定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」(令和4年6月7日閣議決定)でも維持されています。

 では、その目標としていた令和4年のマイナンバーカード保有状況はどのようなものだったでしょうか。図-1は、総務省が公表しているマイナンバーカード保有率を元にグラフにしたものです。

出典: 総務省のウェブサイト 「マイナンバーカード交付状況について」(https://www.soumu.go.jp/kojinbango_card/kofujokyo.html 2025年3月31日参照)に公表されているデータから作成

 令和4年度(2022年度)の保有率は60%くらいです。令和元年(2019年)の状況と比較するとかなり急激に増加していることが分かります。その主要因は、マイナポイント付与の施策で、再度のマイナポイント付与のキャンペーンを経て現在では人口の78%くらいがマイナンバーカードを保有するに至っています(注4)。

 もうひとつこのグラフからわかるのは、保険証の廃止決定後もさほどマイナンバーカードの取得は進んでいないということです。保険証廃止は、国民にマイナンバーカードの取得を強いるものという批判もありますが、保険証の廃止に対してそれまでマイナンバーカードを保有していなかった国民はそれほど強く反応していません。また、法的には現在でもマイナンバーカードの取得は任意でマイナンバーカードを保険証として利用しない人には資格確認書が交付されることとなっています。強く利用を促されているとはいえ、「マイナ保険証」に法的な強制性はありません。

 ただ、多くの人が疑問に思うのは、資格確認書を発行するくらいなら、なぜマイナンバーカードの保険証利用を選択制にせずに保険証の廃止にまで踏み切ったのかということでしょう。現に運転免許証のマイナンバーカード利用は選択制です。ところが、調べてみると当初厚生労働省が検討していたのは保険証を継続して利用する案だったようなのです。

(注1)『「日本再興戦略」改訂2014-未来への挑戦ー(平成26年6月24日)』『「日本再興戦略」改訂2015ー未来への投資・生産性革命ー(平成27年6月30日)』
   『日本再興戦略2016―第4次産業革命に向けて―(平成28年6月2日)』
(注2)『未来投資戦略2017―Society5.0の実現に向けた改革―(平成29年6月9日)』
(注3)『マイナンバーカードの普及とマイナンバーの利活用の促進に関する方針について(令和元年6月12日)』
(注4)マイナンバーカードの普及に関するダッシュボード 2025年3月31日時点の数値 (https://www.digital.go.jp/resources/govdashboard/mynumber_penetration_rate)

厚生労働省 社会保障審議会医療保険部会での検討

 厚生労働省でマイナンバーカードの活用が議論されていたのは、社会保障審議会の医療保険部会です。2021年7月開催の第144回部会に出された医療機関・薬局向けの、「オンライン資格確認等システム集中導入開始宣言」(注5)と題された資料の中の以下の記述等からこの時点では保険証を併用する案だったことが伺えます。

○ マイナンバーカードをお持ちでない患者の方が訪れた際にも、健康保険証の情報(記号番号等)でオンライン資格確認が行えます。
○ 健康保険証による資格確認だけでも十分メリットを感じられるとの声を多数いただいております。

 オンライン資格確認は健康保険証でも可能と説明されています。保険証の機能のひとつは資格確認なのですから、保険証があればオンライン資格確認ができるのは当たり前ですが、それで問題ないとされていました。それが、ある時点から保険証廃止に方針が転換されます。

(注5)『オンライン資格確認等システム集中導入開始宣言 【医療機関・薬局の方々へ】』 (令和3年7月9日 厚生労働省保険局 第144回社会保障審議会医療保険部会 参考資料2)

保険証廃止の決定経緯

 保険証廃止という言葉が登場するのは、令和4年(2022年)8月の第152回の部会です。保険医療機関・薬局におけるシステム導入を原則として義務化し、関連する財政措置を見直して令和6年度中を目途に保険者による保険証発行の選択制の導入を目指し、さらに訪問看護や柔整・あはき等のオンライン資格確認の導入状況等を踏まえて保険証の原則廃止を目指す、と説明されています(注6)。

 さらに、同年10月28日開催の第156回の部会では、「原則」の二文字が外れて、「マイナンバーカードと健康保険証の一体化」を進めるため、令和6年秋に保険証の廃止を目指すと明記されます(注7)。同月の少し前に開催された、当時の河野デジタル大臣を議長とする「マイナンバーカードの普及・利用の推進に関する関係省庁連絡会議(第2回)」(令和4年10月12日開催)の大臣挨拶の中で、マイナンバーカードの普及に関して、保険証は切り札の一つとされ、またマイナンバーカードと各種カードとの一体化はどんどん前倒しでやらせてほしいと述べられています。

 こうしたことからも、政府がマイナンバーカードの普及にともかく力を入れていたことは明らかです。保険証廃止の前倒しは、そうした中で決まったものと考えることができます。

(注6)『オンライン資格確認等システムについて』(令和4年8月19日 厚生労働省保険局 第152回社会保障審議会医療保険部会 資料2)
(注7)『オンライン資格確認等システムについて』(令和4年10月28日 厚生労働省保険局 第156回社会保障審議会医療保険部会 資料3)
(注8)「マイナンバー法等の一部改正法(令和5年法律第48号)について」

デジタルネットワークの限界を見据えて

マイナンバーカードの保険証利用の効果

 厚生労働省も説明しているように健康保険証があるならオンライン資格確認は可能です。自己の健康記録をネットワークで扱えるようにするならマイナンバーカードは必要になりますが、これは選択制でよいはずです。医療データの分析はどうでしょうか。マイナンバーカードを使った公的個人認証は、紙の手続きに置き換えると実印と印鑑証明書並みの厳格さを持つ本人確認の方法です。医療データの活用はむしろ匿名化が前提ですので、マイナンバーカードを使う余地は無いといってよいでしょう。

 従って、保険証を廃止してまでマイナンバーカードを使うように促す理由として考えられるのは、その厳密な本人確認の機能を利用した患者の取り違え防止や保険の不正利用、過誤請求への対応等になります。実際、平デジタル大臣が就任直後のビデオ会見で保険証廃止の理由として説明していたのは不正利用の問題でした。確かに、こうした保険適用上の課題のためにマイナンバーカードを活用していくことは合理的です。ただ、それは保険者や保険制度の課題です。医療・介護現場の問題ではありません。医療関係者から後になって様々な意見が出されている遠因はここにあるものと考えられます。

 たとえば、整骨院に毎週通ってくるお年寄りに対して毎回マイナンバーカードの電子証明書や顔認証を使った本人確認を行うことは本当に必要なのでしょうか。これまで保険証の確認は月に一度程度でした。本人確認が初診時に済んでいれば、資格情報の変更はオンラインで確認できるはずです。ネットワーク上の相手が見えない環境での本人確認と顔の見える院内の本人確認とは自ずと質が異なるはずです。そうしたことは保険証廃止に際してどこまで検討されたのでしょうか。

デジタル化によっても変わらないもの

 世界は、デジタル・データだけでできているのではありません。ネットワークが途切れる所には必ず生身の人間がいます。近年、業務の現場を知らないシステムの専門家が淡々と開発を進めるよりも、その業務領域をよく知るエキスパートを開発に巻き込んでその知識を開発者と共有することが推奨されるようになりました。この考え方はドメイン駆動開発として概念化され開発方法論としてもソフトウェア開発者の中で定着しつつあります。現在、電子証明書の有効期限切れに端を発した役所の事務負担の問題が話題になっていますが、これも、現場をよく知る人が制度設計やシステム開発に関与していれば、その困難性について指摘できたかもしれません。

 システムの導入を進める側には多くの場合「大義」があります。しかし、システムを受け入れる側にも守らなければならないものがあります。現場を支える人々にとっては、システムにどのように対応するかよりもシステムをどのように自分の仕事に適合させられるのかが重要な場合すらありえるのです。

 そのような人々とどのように向き合っていくのかは、デジタルトランスフォーメーションにおける非常に重要な課題です。デジタル化を進めていく上で、システムと人との接点をどのように考えるか。システムを利用する経験全体を指す「ユーザー体験」という言葉は、まさにそのことを指しているのですが、公共サービス分野では忘れられがちです。システムの使用性のような自明な部分はともかく、システムを信頼することができ、自分の仕事を支えてくれる実感を持つことができ、満足度高く生産性高く仕事ができるかどうかといった感情や価値感に関わる部分となるとやや心許ないのが実情でしょう。

 デジタルトランスフォーメーションは、デジタル技術を導入して強引に仕事を変えることではありません。それは、デジタル技術を中核にした新たな人間的な価値の創出を意味します。その価値の中心には、システムを利用する「人」がいなければなりません。デジタル庁が『デジタル社会の実現に向けた重点計画』において述べている「誰一人取り残さない」という理念は、まさにそのことを述べたものと考えるべきです。それが困難なものであることは確かですが、私たちはそれを乗り越えて進んでいかなければならないのです。