
日本においても、公共サービスをデジタルの力で維持・強化していくために国と地方が協力して共通システムを開発し利用する仕組みを広げていくことが重要であると、内閣総理大臣を議長とするデジタル行財政改革会議で確認されています。
本記事では、デジタル公共財とは何か、デジタル公共財のへ期待とその課題は何か等、事例を交えて解説します。
デジタル公共財とは?
公共財
まず「公共財」とは何かについて確認しましょう。公共財は経済学用語で、次の2つの性質をあわせもつ財・サービスをいいます(政府が公的に供給する財を指す用語ではありません)。
1)消費の非排除性=特定の人 (消費者) をその財・サービス)の消費から排除することができない
2)消費の非競合性=同時に多くの人々によって消費されることが可能で、消費者間でその財の消費をめぐる競合の余地が生じない
公共財にあたるものに、道路、公園、警察、消防などがあります。公共財は政府が税金を使って提供することが多く、税金は公共財の維持や新たな提供に使われます。
デジタル公共財
「デジタル公共財」は、国連事務総長により「持続可能な開発に資するオープンソースのソフトウェア、オープンデータ、オープンAIモデル、オープンなデータ標準、オープンなコンテンツであり、プライバシーやその他の適用される法律やベストプラクティスを遵守し、害を及ぼさず、SDGsの達成に貢献するもの」とされています(注1)。
(注1)“Report of the Secretary-General Roadmap for Digital Cooperation JUNE 2020(デジタル協力のための事務総長ロードマップ2020年6月)”
(https://www.un.org/en/content/digital-cooperation-roadmap/assets/pdf/Roadmap_for_Digital_Cooperation_EN.pdf)。

グローバルなデジタル協力、グローバルなデジタル公共財の普及を促進するための取り組みとしては、2019年に設立され国連により承認されたマルチステークホルダー・イニシアチブ、「DPGA(Digital Public Goods Alliance)」の活動が挙げられます。DPGAにより「2024年デジタル公共財エコシステムの現状」として発表されたレポートでは、2024年は「生成AIへの関心が高まるなど、世界中でデジタル変革の取り組みにとって重要な年」であるとされ、デジタル公共財が世界に与える影響を詳しく解説しています。DPGAメンバーとして、エストニアやインドをはじめとする各国政府やアジア開発銀経等の国際機関、またゲイツ財団やロックフェラー財団などが参加しています。
世界で注目された背景-海外事例に学ぶ
デジタル化、電子政府等の取り組みは、1990年代半ばのインターネット商用利用開始を契機として世界各国で進められてきましたが、2019年末からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的蔓延・拡大により、日本を含む世界各国の政府は、非接触・非対面を基本とした社会・経済活動の基盤を整備する必要性に迫られました。
このように、ポスト新型コロナにおいて各国におけるデジタルインフラ等への投資が増大・加速化しましたが、国連事務総長によるロードマップで「デジタル公共財」という言葉が使われる以前に、積極的にデジタル化の取り組みを進めてきた国があります。
エストニア:X-Road(エックス・ロード)
「X-Road」は、省庁や行政機関等の複数のデータベースをインターネット上でセキュアに連携させるためのデータ交換基盤で、2001年にサービスが開始されました。X-Roadを基盤として各行政機関のデータベースは相互にリンクされており、すべての行政手続きのオンライン化が実現されています。また国政選挙の投票や確定申告、会社設立、電子カルテ、電子居住権制度などの取り組みも進められています(注2)。そしてX-Road の技術は、フィンランド、アイルランド、ウクライナ、カザフスタン、ナミビアなどに輸出されています(注3)。
エストニアはX-Roadの導入により、政府の人件費や書類発行などのコストが大幅に削減されました。企業の申請手続きも最適化され、浮いたリソースは新規事業やサービス開発に活用されています。エストニアによると現在、「不要な書類作業の削減」「信頼できる情報への即時アクセスの実現」「公務員が判断を必要とする重要な業務に集中できる」ことで、年間1,345年以上の労働時間を節約しているとのことです(注4)。
(注2)外務省、エストニア共和国(Republic of Estonia)基礎データ(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/estonia/data.html)。
(注3)「X-Road の衝撃― デジタル国家を支えるコアテクノロジー ―」(https://dlri.co.jp/pdf/ld/2020/wt2011.pdf)
(注4)「X-Road – interoperability services」(https://e-estonia.com/solutions/interoperability-services/x-road/)
インド:India Stack(インディア・スタック)
「India Stack」は、2009年に導入された国民ID「Aadhaar(アーダール/アドハー)」を基盤としたデジタル公共インフラです。Aadhaarには個人の生体情報(指紋・光彩など)が登録され、納税者番号や銀行口座などにひも付けられており、これにより補助金や公共サービスのスムーズな提供、電子決済を実現しています。India Stackのノウハウを海外展開するため、インド政府はIndia Stackのコア技術を「MOSIP(Modular and Open Source Identity Platform)」と呼ばれるプラットフォームとしてオープンソース化しました。MOSIPを活用することで、各国はMOSIPを自国向けにカスタマイズするだけでシステム構築が可能です(注5)。
インドではIndia Stackにより、貧困層を含む金融包摂が実現されました(注6)。政府の給付金振込みがデジタル化されたことで、これまで半分が不正に受給されていた給付金の不正受給を排除することができました。また、コア技術のセキュリティ、プライバシー等を確保しつつ、データ転送の基本的機能やフォーマットをAPIとして標準化し民間企業にも開放した結果、企業は共通機能の開発を短縮することができ、本業で競争する環境が醸成されました。新型コロナウイルス感染拡大下では、India Stackを活用して対象者を素早く割り出して、1カ月以内に貧困層の銀行口座に現金給付が実施されたとのことです(注7)。
(注5)JETROビジネス短信「日本・インド連携でアフリカなど第三国への「インディア・スタック」展開」(https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/06/61cb3c1eeec1c160.html)。
(注6)2000年代前半から注目されるようになった概念。「全ての人々が、経済活動のチャンスを捉えるため、また経済的に不安定な状況を軽減するために必要とされる金融サービスにアクセスでき、またそれを利用できる状況」を指すとされている。
(注7)JETRO「India Stackへのアフリカの関心と日本企業のビジネスチャンス」(https://www.jetro.go.jp/view_interface.php?blockId=30542990)
我が国における取り組み-国内事例に学ぶ
デジタル横展開推進協議会(デジタル庁)
2024年6月、官民連携でデジタル化の推進を図ることを目的として「デジタル横展開推進協議会」が設立されました。日本は人口減少期であり、またAI時代を迎えていることから、オープンデータ、オープンソフト等のデジタル公共財を効果的に組み込んだ新たな産業秩序が必要との認識のもと、デジタル庁は各地域のデジタル実装の優良事例の横展開推進を目指しており、この取り組みに賛同した民間企業・団体、大学、自治体等がデジタル化横展開推進協議会に参加しています。
GovTech東京(東京都)
2023年7月、東京都庁と都内62区市町村のDX推進を加速することを目的し東京都と協働する組織として「GovTech東京」が設立され、同年9月から事業を開始しました。GovTech東京では、「多くのステークホルダーが共同で創り、共同で使っていくリソース」としてのデジタル公共財が今後の社会において必要であり、「制度やナレッジもデジタル公共財となる」との考えのもと、技術やデザイン等のガイドライン、教育カリキュラムなど知的資源の開発・共同化などにも取り組んでいます。
東京都 新型コロナウイルス感染症対策サイト
東京都は2020年3月、行政発のオープンソースソフトウェアとして「東京都 新型コロナウイルス感染症対策サイト」を立ち上げました。このサイトは、行政とシビックテック共創としての象徴的な事例です。陽性患者数とその内訳、コールセンターに寄せられた相談件数等のデータを掲載するとともに、これらデータをオープンデータとして公開、サイト構築の支援の一環としてプログラムソースコードも公開しました。行政や社会が変わる、デジタル化が進む大きな転換点となった事例のひとつといえます(注8,9,10)。
(注8) 「東京都:新型コロナウイルス感染症対策サイト | 政府CIOポータル]」(https://cio.go.jp/node/2565)
(注9)「なぜ東京都がソースコードを公開?コロナ対策サイトを速攻で完成させたDX戦略」(https://hiptokyo.jp/hiptalk/tokyo/)
(注10)「官民共創イベント「GovTech東京 共創MeetUp-新型コロナウイルス感染症対策サイトを振り返る-」」(https://www.govtechtokyo.or.jp/news/2023/11/01/1745/)
過去における類似の取り組み
デジタル公共財に類似の取り組みとして、総務省により推進された「公共アウトソーシング事業」の事例があります。電子自治体を推進するという新たな命題において、団体を超えた共同化、共用化が推進されたという実例では、デジタル公共財の取り組みに近いものと言えます。
(1)福岡モデル、鳩ケ谷モデル(共通基盤)
2006年7月、「オープンスタンダード化支援コンソーシアム」(注11)は、福岡県が策定した「電子自治体共通化技術標準」(福岡モデル)、埼玉県鳩ヶ谷市が開発した「鳩ヶ谷共通基盤」(鳩ケ谷モデル)のソースコードおよびデモサイトを「OSAC Tech Portal」で公開しました(現在デモサイトはありません)。福岡市に隣接する大野城市では、福岡県が策定したこの電子自治体共通化技術標準を活用したシステム構築にいち早く取り組みました。
(注11)オープンスタンダード化支援コンソーシアム(OSAC):地方自治体の電子化をオープン系技術で支援する、ICTベンダーやコンサルティング企業を中心メンバーとする任意団体。事務局は三井物産戦略研究所内に置かれた。
(2)北海道HARP構想(共同アウトソーシング事業)
「HARP構想」は、平成14(2002)年の総務省の共同アウトソーシング・電子自治体推進戦略に呼応した取り組みで、高度情報通信ネットワーク社会形成基本法に基づいています。情報システムを効率よく運用できるよう各種システムの共通機能を備えた共通基盤とその基盤上で運用される電子申請システムが開発されました。平成18(2006)年度からは共同システムとして運用され、現在は国の「自治体クラウド開発実証事業」により構築されたクラウド連携基盤と新電子申請システムに移行、施設予約システム、電子調達システム、さらには、基幹系業務システムなど様々な共同利用型のサービスが市町村などに提供されています(注12)。
(注12)北海道「HARP新概要」(https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ckk/harp/harpnew1.html)
デジタル公共財への期待とその課題
このように、デジタル公共財は国・自治体・民間を含む社会全体、あるいは国をも越えたグローバルな社会で共同に創り、誰でも使うことのできるデジタルな財と考えることができます。オープンソースとの類似性から、デジタル公共財というとソフトウェアがイメージされますが、ソフトウェアだけでなく、データそのもの、ガイドラインやマニュアルなど多様なものが含まれます。また、1)認証、ID基盤、データ連携基盤などのシステム共通基盤の機能に位置づけられるもの、2)業務システム全体もしくは機能の一部分として開発されて共用されるもの、の2つに大別されます。2)に関しては、a.従来から市場に存在する業務システムを対象にするもの、b.市場に存在しないが社会的必要性が高い新規業務システムを対象にするもの、があります。
現在、それぞれのステークホルダーによって、解釈が異なることも多いデジタル公共財ですが、前述した背景をもとに考察した場合、行政機関(国・自治体)、作り手、ICT業界の3つの立ち位置から、次のような期待と課題が挙げられます。
デジタル公共財を採用および導入する行政機関(国・自治体)にとって
【期待】
①ICT投資の大幅な削減
②人材およびスキルが不足する小規模団体のICTおよびデジタル化の取り組みが加速される
③新たなDX・ICT化分野への着手が後押しされる
【課題】
①バズワードに振り回されたくないという保守的な姿勢
②損害賠償責任の所在が不明(何かあったときに誰が保証してくれるのか?)という慎重論
③国が推進するまで待つという自治体の受け身の姿勢
デジタル公共財を作る開発者(行政機関、民間事業者の両方のケースがあり)にとって
【期待】
①開発したデジタル公共財を業界スタンダードにすることで自分たちの手戻りが少なくなる(主に行政機関)
②デジタル公共財の開発で培ったナレッジを武器に、デジタル公共財と連携する競争領域で、大きなマネタイズが期待できる(主に民間事業者)
【課題】
①設計・開発上の課題として協調領域と競争領域の線引きが難しい
②競争領域で勝たないとマネタイズが出来ないことから、リスクが大きく、次の研究開発投資が難しい
③デジタル公共財として開発された機能がプラットフォーマーの最新技術に浸食される脅威がある
④自治体の場合、他自治体のために投資することへの理由付けが難しいという説明責任
ICT業界にとって
【期待】
①政府・自治体のDX化、ICT化推進の起爆剤となる可能性がある
②政府のさらなる投資が期待できる
【課題】
①エコシステムが確立されていないため、自社の既存ビジネスの売上が浸食される
②ICTベンダー側にリスクを押し付けられるのではないか?という疑心暗鬼
③プラットフォーマーの最新技術との住み分けが難しい(デジタル公共財に合わせるか?プラットフォーマーに合わせるか?の意思決定)
デジタル公共財の定着に向けたポイント
デジタル公共財によるメリットの認識
デジタルやICTの世界において、オペレーティングシステムや通信ネットワーク、クラウド等に代表されるプラットフォーム基盤がデファクトスタンダードとしてサービス提供されるようになると、その上で動くアプリケーションの開発が促進されます。アプリケーションが増えてくると、利用者の選択肢が拡がることで、コモディティ化も加速されます。結果として、コストメリットも含めた利用者の利便性は、劇的に向上します。
同じように、デジタル公共財が普及していくことによって、行政のデジタル化は確実に底上げされることが予想されます。そして、デジタル公共財の持つオープンな性質によって、官民の枠組みを超えて多様な主体が公共サービスを担えるようになることから、利用者の利便性はさらに向上することが期待できます。とりわけ社会課題解決アプローチの分野は、官民のサービス連携が重要になることから、享受されるメリットは大きくなると予想されます。しかしながら、現時点では、業界のステークホルダーがデジタル公共財の意義とメリットをしっかりと理解できているとは言い難い状況です。あらためてデジタル公共財のメリットを官民双方でしっかり認識することが必要であると言えます。
強力なリーダーシップの必要性
前述したように、デジタル公共財はまだバズワードの状態といえるかもしれません。過去から行政機関(国や自治体)のICT推進においては、さまざまなバズワードが出てきては消えるという混迷もあったことから、個々のステークホルダーが取り組みに躊躇することは当然です。前述したように、業界のステークホルダーがデジタル公共財のメリットについて共通認識を持った上で、さらに動きを加速し、大きな波に変えていくために、エストニアやインドのように政府の強力なリーダーシップと大きな投資が必要だと認識します。
特にデジタル公共財の機運を自治体マーケットで盛り上げていくためには、予算面での課題があります。自治体の予算はそれぞれ独立しているので、他自治体にデジタル公共財を拡げていくための投資や共同開発・運用のための費用負担の議論はかなり難しいです。この点でも、政府が大きく投資する等の強いリーダーシップが重要です。また、GAFAMに代表されるプラットフォーマーの研究開発投資は驚異的です。彼らが開発する技術と敵対(バッティング)するのではなく、上手く連携していくことを考えなければ、開発したデジタル公共財もすぐに陳腐化してしまいます。政府主導のもとプラットフォーマーやICT業界と議論として連携する仕組みを作っていく必要もあると言えます。
ICTおよびデジタル化の推進スキームの共同化による見直し
行政機関といっても、基づく法律と管轄する事務そして業務規模により、それぞれの団体のICTおよびデジタル化のニーズも優先順位も異なります。自治体マーケットにおいても、政令市に代表される大規模自治体と町村のような小規模自治体のニーズは大きく違っていますし、それぞれが独自の予算の意思決定スキームで動いていることから、LGWAN、共同アウトソーシング事業、セキュリティクラウドなど、県域でのICT施策においては、常に自治体間の合意形成や費用按分ロジックが議論となり、推進のブレーキとなることが多いです。しかしながら、ICTおよびデジタル化は利用者が増えることで大きな効果を発揮します。今一度、自治体のICTおよびデジタル化のスキームを見直してみることが必要ではないでしょうか。自治体戦略2040(総務省自治体戦略2040構想研究会)でも言及されているように、業務量は増えるが、人員は縮小していくと、自治体経営は危機を迎えてしまいます。法定受託事務ではあれば、国の予算増で対応可能となりますが、自治事務に関しては、住民サービスを縮小せざるを得ません。昨今では、自治体BPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)として、事務処理全体を民間へ委託することによって、従来の予算で質を維持する好事例も出てきています。しかしながら、BPOは受託する民間側に、1)業務プロセスを変革できる権限があること、2)一定以上の規模の業務量があること、3)年間を通じて安定した業務量があること、等が必須条件であり、これらの条件が一つでも欠けると、受託する民間側が赤字となってしまいます。自治体から民間に赤字業務を押し付けるだけにならないように、自治体BPOには自治体側の検討が必要になるのです。自治体BPOの成功には、1)ICTおよびデジタル化による業務プロセス変革、2)一定以上の業務量を出すための小規模自治体間の連携、がキーサクセスファクターとなります。デジタル公共財は、ICTおよびデジタル化の共同化を促し、業務効率化にも効果を発揮します。都道府県・政令指定都市の位置づけや役割も含め、ICTおよびデジタル化のスキームを見直すことが重要であると言えます。
グラビス・アーキテクツ株式会社は、次世代の公共のあり方を考える公共分野に特化したリーディングコンサルティングファームです。デジタル公共財を筆頭に、新しい公共に貢献するであろう取り組みをいち早く察知し、様々なステークホルダーの視点で分析・評価しています。昨今であれば、政府が掲げているAIの利活用においても、本当に信頼できる行政現場でのAIの利活用について、真摯に分析・評価を進めております。今後も様々な行政機関の現場の皆様に寄り添いながら、新しい公共のあり方を追求していきます。